八戸三社大祭とは
およそ300年の歴史と伝統を誇る「八戸三社大祭」(はちのへさんしゃたいさい)。
一番の見どころは、おがみ神社・長者山新羅神社・神明宮の三神社の神輿行列と、神話や歌舞伎等を題材に各山車組が制作した27台の山車の運行。高さ10m・幅8mにもなる山車が通るたび、沿道では大きな歓声があがります。また、ライトアップされた山車が夜空に浮かび上がり、幻想的な雰囲気を醸し出す夜の運行では、昼とはまた違った雰囲気に。
毎年7月31日から8月4日までの5日間、八戸のまちが独特の熱気に包まれ、期間中の人出は100万人以上。青森県には青森ねぶた祭・弘前ねぷたまつり・五所川原立佞武多など津軽地方を中心に有名な夏祭りが多いですが、それらに全く引けを取らない活気と迫力を誇るお祭りです。一足早く始まる八戸三社大祭を見てから、津軽のお祭りを巡るのもオススメです。
重要無形民俗文化財の指定
八戸三社大祭は、その歴史・変遷を調査した結果、2004年2月に「八戸三社大祭の山車行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されました。
また、2016年12月1日にはユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」に登録されました。
八戸三社大祭の始まり
享保5年(1720)、凶作に悩む八戸の有力者たちが、法霊大明神(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願したところ、無事に秋の収穫を迎えることができました。その御礼として、八戸藩の許可のもと、武士や町人から寄進を募って神輿を建造し、享保6年(1721)に長者山三社堂(現在の新羅神社)に渡御したことが、八戸三社大祭の始まりと言われています。
祭りの変遷
やがてこの祭りには、八戸藩の有力な商人が買い入れた人形を載せて担いだ「屋台」や「虎舞」など、町民で編成した行列が参加するようになり、まちの安泰や豊作を祈願する大規模祭礼として発展していきました。
明治17年(1884)には新羅神社が、その5年後には神明宮の行列が加わって三社の祭りとなり、それまでの同じ人形を屋台に載せるスタイルから、毎年新しく作った山車を運行する形へと変化し、現在の祭りの原型となりました。
現在の八戸三社大祭は、行列の運行経路や参加する民俗芸能など伝統を保ちつつも、民話や歌舞伎などを題材として製作された27台の山車が祭りの余興「附祭」(つけまつり)として参加し、祭りをより華やかで迫力のあるものにしています。
八戸三社大祭の行列を彩る郷土芸能
法霊神楽(ほうりょうかぐら)
山伏による神楽の1つで、おがみ神社にて伝承されてきた法霊神楽。神楽の中心演目は、獅子頭「権現様」(ごんげんさま)を持って舞う権現舞で、数人の舞手が獅子頭を一糸乱れずに打ち鳴らす「一斉歯打ち」に心が清められます。八戸三社大祭ではおがみ神社の行列に参加しています。
5月の第二土曜日とその翌日におがみ神社で行われる「法霊神楽祭」でも、法霊神楽の山伏の技を堪能することができます。
虎舞(とらまい)
滑稽な動きで沿道の人々を和ませている「虎舞」。東北の太平洋岸に多く分布し、火伏せや航海安全に関する信仰として伝承されてきました。八戸市内でも鮫・湊・小中野・新井田などいくつかの地域に虎舞が伝えられており、八戸三社大祭の行列の中で披露されます。
虎が一斉に地面を転がったり、肩車によって立ち上がるアクロバティックな演技に注目。また、虎に頭を噛まれることで無病息災のご利益があるとされており、人気のある芸能です。
大神楽(だいかぐら)
獅子舞が伊勢神宮や熱田神宮の信仰と結びつき、芸能となったもの。お伊勢参りに行くことができない人のために地方を巡回していた神楽に始まり、やがて地方に定着したと言われています。八戸三社大祭では、大神楽が各神社行列の先頭に立ち、道を払い清めて歩きます。
駒踊(こまおどり)
馬産地である三八上北・岩手県北地域に分布する芸能で、馬の模型を胴に固定し、跳ねるように踊る舞。明治時代から八戸三社大祭に参加していたと言われていますが、その後参加が途絶え、平成になって復活し現代に至ります。
八戸市高館の「高館駒踊」が代表的な団体で、八戸三社大祭への参加のほか、高館の小田八幡宮の例祭にも出演しています。
笹の葉踊(ささのはおどり)
藩政時代からの歴史ある踊り「笹の葉踊」は、明治時代に入ると八戸三社大祭から姿を消しましたが、平成に入ると、古文書などを頼りにおがみ神社によって復活しました。
笹の葉を手にした十五名前後の踊り子が、お囃子に合わせて可愛らしい踊りを披露し、沿道の観客を和ませてくれます。
手古舞(てこまい)
昔ながらの衣装に身を包んだ2人の「手古舞」が、杖を鳴らしながら山車行列の先頭を歩きます。
華屋台(はなやたい)
花街として栄えた小中野地区・鮫地区の芸妓が乗る屋台として、明治時代から行列に参加していたと言われています。その後、戦争の影響や芸妓の減少により、祭りに参加しない時期が長く続きましたが、平成に入ると市内の舞踊の師匠などの手により復活を遂げました。
現在の華屋台は山車行列の最後尾を飾り、八戸小唄などの踊りが披露されます。
八戸三社大祭の山車制作
例年5月の連休明け頃に始まる、八戸三社大祭の山車制作。本番1ヶ月前頃になると、各町内の山車小屋には夜遅くまで明かりがともります。八戸三社大祭の山車制作者には、いわゆるプロの制作者はおらず、祭りのほかに本業をもっている人がほとんど。制作は本業が終わった後の深夜に行われることが多く、祭りは制作者や山車組関係者たちの努力によって支えられているといっても過言ではありません。
苦労して作り上げた山車は、八戸三社大祭が終わると周辺町村の山車祭りに貸し出されるなどして、その後解体。そして、翌年は違った題材でまた作り直されます。2つと同じもののない27台の山車が、八戸三社大祭をより豪華で、印象深いものにしています。
山車の4つの類型
三社大祭の山車は、民話や歌舞伎などを題材としたものが多く、その題材や場面により写真のように4つの類型があります。最近の山車は、これらを複合したものもありますが、その基本形が何なのかを考えながらご覧になるのもおもしろいでしょう。
岩山車
黒い岩場に松や紅葉などが飾られ、滝などが描かれています。
昭和37年「宮本武蔵」(本鍛冶町)
波山車
海を舞台とし、船などを中心に波が取り巻く構図になっています。
昭和57年「紀伊国屋文左衛門」(下大工町)
建物山車
大きな門や城の一部を中心としたものです。
昭和54年「武蔵坊弁慶」(新荒町)
高欄山車
赤い欄干で四方を囲んだもので、後部をさらに一段高くし、脇には軒花が飾られます。
昭和35年「黒田武士」(新荒町)
仕掛けが動く山車
山車の中には、前部と中央部が横に展開し、後部がせり上がるなどの仕掛けがあるものがあります。運行の際、スペースがあれば仕掛けを動かしますので、その動きに注目してください。
また、前夜祭・後夜祭では、中心街の大通りおよび市庁前市民広場にすべての山車が集合します。仕掛けが全開した状態をじっくりと見ることができますので、人形の表情の豊かさや細かい装飾、練り込まれた場面構成をお楽しみください。
八戸三社大祭 山車展示情報
八戸三社大祭魅力発信コーナー
ユートリー1階メインホールに平成30年(2018)7月にオープンした、八戸三社大祭の魅力を発信する展示コーナー。祭りの由来や神社行列、山車づくりの過程の解説など、三社大祭をやさしく詳しく知ることができ、実物の山車の上物を再現した「ハーフカット山車」の前では記念撮影も可能。充実の展示となっています。
「西遊記 孫悟空奮戦の場」
八戸三社大祭の全ての山車組により構成される「はちのへ山車振興会」の若手たちが、三社大祭の山車の上物を圧巻の迫力で表現した力作「西遊記 孫悟空奮戦の場」。今にも眼前に伸びてきそうな孫悟空の如意棒、前にせり出した猪八戒など、あの西遊記の登場人物たちが暴れまわる場面が躍動感たっぷりに描き出されています。山車の上物の前半分を実物大で再現したもので、「ハーフカット山車」とも呼ばれています。
ミニ山車「七福神と宝船」
八戸ポータルミュージアム2階に常設展示中のミニ山車「七福神と宝船」。実際の山車の1/3~1/5スケールほどの大きさですが、豪華さ・精巧さは本物をしのぐほど。波しぶきが特徴の「波山車」のスタイルで作られています。
ミニ山車「西遊記」
八戸市庁本館1階に常設展示されているミニ山車「西遊記」。分解・組立が可能で、県外のイベント等に出張展示していることも。写真は毎年1月に東京ドームで開催される「ふるさと祭り東京」で展示したときのものです。